小西正尚の思い出:馬橇編

こんにちは。 寿都町の小西正尚です。
前回のブログでは、寿都町の名湯「ゆべつの湯」についてご紹介させていただきました。 湯別のことを書いていたところ、昔の湯別駅の様子、そしてそこで出会った馬橇の思い出などが蘇ってきましたので、紹介したいと思います。

ニシンで栄えた当時の湯別駅

湯別地区には、大正7年に開業し昭和43年に廃線になった寿都鉄道の停車場が有り、黒松内駅まで連絡していました。
寿都町で獲れたニシンなどを運び、黒松内駅まで繋ぎ、函館本線へ連絡するという重要な役割を果たして居たのです。 「上り坂ではニシンの脂で車輪が空回りして登らなかった」というエピソードもあります。それだけニシンが獲れていたということですね。
湯別駅は多くの人が行き交い大変な賑わいでした。当時の湯別駅の賑わいを知らない方も、旧駅前通りを散策してみたら楽しいと思います。

馬橇(ばそり)を引く『馬車追い」の人たち


車の無い時代、鉄道は人々や物資をまとめて運ぶ重要な乗り物でした。
湯別駅から私の住んでる歌棄までの配送は運送業者の仕事になりますが、勿論トラックなど無い時代でしたので、『馬車追い』と言われる人たちが、夏場は馬車で、冬場は馬橇で各戸に荷物を配送してくれてました。
馬橇(ばそり)とは名前の通り、荷物や人を運ぶために馬の後ろに橇をつけたもので、昭和20年代頃までは北海道の冬では主要な交通手段でした。
私は片道4キロの道のりを徒歩で通学していたので、馬橇に出会うと馴染みの御者のおじさんが乗せてくれる事も度々ありました。
馬橇に乗る嬉しさと楽しさと、そして御者のおじさんとの会話が懐かしく思い出されます。
馬橇は、シャンシャン鳴る鈴を付けていて、その音が聞こえると、子ども心がワクワクしたものです。 馬橇が通った雪道には、橇の後が二本付いてて、そこだけ雪が固まってツルツルになってたので、勢いを付けて滑って遊びながら帰ったりもしました。

参考:1951年の馬橇逓送(郵便配達用の馬橇)

出典:郵政博物館ウェブサイトより(https://www.postalmuseum.jp/collection/genre/detail-168107.html)

橇で運んだ木箱のリンゴ

橇の思い出と共に、真冬に青森から送られて来ていた大きな木箱に入った固いリンゴが思い出されます。
握りこぶしよりも少し小さくて、固くて酸っぱくて・・・
食べるものが無かった時代、しかも真冬ですから、生の果物のリンゴは贅沢なおやつでした。
子供心に嬉しくて嬉しくて仕方なかったことを覚えています。
私の家から5キロ程離れた所に、そのリンゴを青森からまとめて頼んでいる家があって、入荷したと連絡が入ると、兄と二人で橇を曳いてそのリンゴを取りに行きました。
往復10キロの道のりでしたが、1箱に100個ほどつまったリンゴの木箱を橇に乗せて二人で帰る時は、距離など感じませんでした。
あらかじめ秋に獲れて保存していたホッケを納めての物々交換でした。

参考:リンゴを出荷する馬橇(青森県)

出典:青森県立郷土館ニュースより(https://kyodokan.exblog.jp/14552859/)

出稼ぎ漁師たちの冬の仕事

馬橇とは別に、荷物を載せて人が引く大きな橇も有りました。
昔は冬に山に入って木を伐採をして、橇に積んで運び出し、一年分の家庭のストーブの薪にしていたものです。
ニシン漁が途絶えてからは、昔の漁師は冬は出稼ぎに出ていました。
出稼ぎ仕事の合間、山に入って木を切り出して、橇に載せて麓まで運んで、それを一年分の燃料として確保していました。
朝は暗いうちにお弁当を持って家を出て、木こりが使う大きなノコギリを使い、朝から晩まで真冬の山の中で木を斬り倒していたのです。
山には休憩用の小さな山小屋があり、男たちはそこで吹雪をしのいだり、弁当を食べたりしていたのでしょう。小屋といっても簡易で粗末なもので、中に入っても相当寒さが身に染みたのではないでしょうか。中には泊まり込みの人も居たようです。
吹雪の多い真冬の厳寒期、遭難の危険を回避するために、山に入る日・入らない日を事前に相談して決めるなどして、常に団体行動をしました。

時代はやがて高度経済成長期に入り、家庭の燃料は石炭そして灯油へと代わって行きました。

命がけの材木下ろし

子供の頃、私も何度か父親に連れられて行った事があり、その小屋の風景は今でも覚えてます。
私は橇を後ろから押す役目をしていましたが、実際は下り坂ばかりで、押す必要は無かったと思います。それでも父は幼い私にちゃんと役割を与えてくれてたのですね。
急な下りや曲がりくねりが続く山中の雪道を、丸太を橇いっぱいに積んで下っていくのです。
ブレーキ操作を誤ると、橇に轢かれたり、橇ごと沢へ転落する危険もある仕事でした。
両手で橇の柄を引きながら、橇に結んだロープを肩に袈裟状に掛けて引いて居たので、橇が落ちればそのロープに引かれて体も橇と一緒に転落してしまうのです。

実際に私が一緒の時も、私たちの橇が下っている時に、向かってきた登りの橇と接触して、父が材木を積んだ橇ごと沢へ転落した事がありました。
不思議なことに奇跡的に父は無傷でした。
橇は途中の大木に引っかかって止まったため、深く転落せずに済んだのです。
木材降ろしの無い日は、その山小屋で遊んだり、帰りは昔の粗末なスキーを履いて、転がりながら雪まみれになって降りて来ました。

昔の人達はホントに凄かったと思います。 貧しい生活の中で、自給自足しながら、家族を守る為に精一杯生きていたのですね。